小次郎の雑学の部屋・1月

この部屋は、皆さんの日常の中で知っていてもそんなに得ってわけじゃないけど
知ってたら結構楽しい!と思えるようなことを紹介していきます。
☆これらのお話は『話のネタ大事典』(PHP文庫)を参考に書いています。


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31日

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1月31日は何の日?

明治26年のこの日、東京市、日比谷練兵場跡を公園地とし、 日比谷公園と名づけました。

☆「郡」は何のためにあるの?

「○○県△△郡××町」というように、町や村にはその前に 「郡」がつくことがあります。ところが、町立の学校はあっても、「郡立」の学校というものは 聞いたことがありません。郡立の病院もなければ、群立の図書館もありません。いったい、「郡」は何の ためにあるのでしょうか?

郡はもともと大化改新の時に制定され、郡司が治めました。その郡が 初めて行政区画になったのは明治11年の郡区町村編制法にとってです。この時、郡長を置き、郡内 の行政を管掌させました。そして明治23年の郡制公布によって、軍には議会が設けられ、地方自治体と なり、群立の学校や病院なども作られました。ところが、町村の自治体が充実してくるにつれて、郡を 自治体にする必要はないという意見が出てきて、大正10年に郡制廃止法案が成立し、大正12年からそれが施行 され、郡制は廃止となりました。その後は郡は単なる地理的名称になって、現在に至っているわけで、 地名としての存在以外は大して役にたっていません。

 

 

1月30日は何の日?

1933年のこの日、ヒトラー、ドイツの首相に就任(ナチス、政権獲得)

☆お釈迦様も法螺(ホラ)を吹いた!??

大げさなウソをいうこと、大言を吐くことを「法螺(ホラ)を吹く」と言いますね。 その法螺とは大きな巻貝(法螺貝)のことで、それはもともと仏教語でした。

インドでは古くから「シャンカ」という大きな巻貝が吹奏楽器として 用いられていました。シャンカとは、古代インド語(サンスクリット)で、「巻貝」(螺貝ーらがい)という意味です。 またシャンカは戦場で出撃の合図にも用いられました。シャンカはよく響き、それを吹くことで大軍 を思いのままに動かすことが出来ます。仏教ではそのシャンカを吹くことを仏の説教にたとえました。 すなわち、お釈迦様の説法のたとえに用いられたのです。

そこで、中国ではそれを「法の巻貝」=「法螺」と訳し、お釈迦様 が法(教え)を説くことを「法螺を吹く」と言いました。お釈迦様の説法、つまり、「法螺を吹く」 ことは仏教徒にとってはたいへん尊いものでした。でも、今日では「法螺を吹く」という言葉は 悪い意味で用いられていますね。

 

 

 

1月29日は何の日?

延久4年(1072)のこの日、藤原頼通が出家しました。

☆坊主が逆になって「ずぼら」になった?

だらしがないこと、さぼったりすることを「ずぼら」といいます。この 言葉は江戸時代後期、文化年間(1804〜18)のころから流行したものですが、その語源については 坊主に由来するという説があります。

江戸時代後期、堕落した僧侶、すなわち仕事をサボったり、酒色に おぼれたりする僧侶が多くなりました。そこで世間の人々は坊主を罵って、「ずぼう」とさかさまに 呼ぶようになりました。その「ずぼう」がなまって「ずぼら」になったというのです。

これとは別に、大阪堂島の米相場用語からきているという説もあります。 堂島の米相場では、相場がズルズルと下がることを「ずぼら」と言っていました。それが一般にも 広まって、だらしがないこと、なまけたりすることの意味に用いられるようになっというものです。坊主に 由来するという説より、この方が有力のようですが、定説として認めるまでには至ってはいません。

 

 

28日分は諸般の理由によりお休みさせて頂きます。 


2月27日は何の日?

昭和20年のこの日、詩人の野口雨情が死去しました。

☆顔や手だけに反応する神経細胞がある?

人がたくさん通る駅前などで、誰かと待ち合わせをします。その誰か が知っている人であれば、すぐにその人を見つけだすことが出来ます。そのとき、私達は顔で見分けている わけですが、一体、私達はどのようにして人を見分けているのでしょうか?

最近の研究では、サルの脳の一部に人間や動物の顔だけに 敏感に反応する神経細胞があることが明らかになっています。この細胞は「顔神経細胞」と 呼ばれていて、動物の顔だけに敏感に反応をするのです。そうした細胞は人間にもあり、さらに 人の顔ならどんな人にも反応する細胞から、特定の人間に対してだけ反応する細胞、特定の人間の 特定の表情に反応する細胞まであることが分かってきています。

顔神経細胞は顔に反応する細胞ですが、さらに手に対して反応する 「手細胞」の存在も明らかになっています。また、サルでは手や口唇に物が触れたときだけに活動する 「手・口細胞」があることも分かってきています。

 

 

1月26日は何の日?

明治19年のこの日、北海道の3県(札幌、函館、根室)を廃し、北海道庁を設置しました。

(明治の19年まで札幌県、函館県、根室県ってあったんですね。びっくりしました!)

☆キツネは油揚げが好きなの?

油揚げが入ったウドンをキツネウドンといいます。なぜ油揚げがキツネなのでしょう? キツネが油揚げを好きだから?キツネは雑食なので、だいたい何でも食べますが、油揚げが特に好きという わけでもないようです。

キツネと油揚げとの関係は稲荷神社との関わりから生まれたようです。 古くからキツネは農耕の神とみなされ、農村の人々はキツネの穴などに食べ物を供えました。油揚げが 登場したのは室町時代初期といわれています。油揚げは庶民にとってはごちそうでした。こんなに美味しい 食べものなら、キツネだって喜んでくれるに違いない。多分、そう思って、油揚げをキツネの穴に供え、 そして、さらに、キツネを神の使いとして祭っている稲荷神社にも供えるようになり、これが結び付いて、 キツネは油揚げが好物であるという考え方が定着していったようです。油揚げが、キツネ色をしていることも キツネの好物と見なされた要因のようです。

東京では、タヌキうどんと言うと、キツネうどんの油揚げの代わりに 揚げ玉が入っているうどんですが、大阪だと、キツネうどんのうどんがソバに代わったものが タヌキだそうです。あと、大阪では、「キツネ」ではなく、「ケツネうどん」だそうです。

 

 

1月25日は何の日?

明治18年のこの日、詩人、歌人の北原白秋が誕生しました。

☆ウナギにもウロコがあるのか?

ほとんどの魚はウロコを持っていますが、例外もあります。ナマズや シラウオにはウロコはありません。ナマズはさわるとヌルヌルするしていますが、同じヌルヌルしている 魚でも、ウナギやドジョウにはちゃんとウロコがあるのです。

ウナギやドジョウは一見、ウロコがないように見えますよね。 つかんでもヌルヌルしており、ウロコがあるとはにわかには信じられない感じです。でも、ウナギも ドジョウもヌルヌルした皮膚の下に小さながウロコがうずもれているのです。但し、そのウロコは 大変、小さいおで、肉眼でみることは出来ません。顕微鏡で見ると、ウロコであることがわかります。

ヤツメウナギという名の魚がいます。8対の目を持っているように見え ウナギのような姿形をしているところから、ヤツメウナギと呼ばれるようになりました。このヤツメウナギ はウナギの中仲間ではありません。そして、ウロコを持っていないのです。

 

 

1月24日は何の日?

昭和21年のこの日、GHQ、日本の公娼制廃止を指令しました。

☆53年もかかって本懐を遂げた仇討ちは?

主君、親などを殺した人を討って恨みをはらす「仇討ち」は 「意趣討ち」とも呼ばれ、室町時代までは禁止されていました。それが、公認されるようになるのは江戸時代 になってからです。

とは言っても、勝手には出来ず、前もって幕府に願い出て許可を 得なければなりませんでした。それではじめて仇討ちの旅に出ることになるのですが、仇討ちの相手に なかなかめぐり会えないので、そう簡単には本懐は遂げられません。かくして、何年もかかって 相手を探し歩くことになるわけです。

例えば、越後新発田(しばた)溝口家の家臣、久米考太郎という人が 父を殺害した者を追って仇討ちの旅に出、安政4年(1857)、仙台祝田浜で本懐を遂げています、 それは父親が殺されてから、41年目のことでした。因みに、記録に残るもっとも長いのは、嘉永6年 (1853)、「とませ」という陸奥の女性が母の仇を討ったもので、仕止めるまでに実に53年もかかっています。

 

 

1月23日は何の日?

昭和38年のこの日、夕方から北陸地方で大雪、北陸、上越線が全線ストップ しました。世に言う、サンパチ豪雪です。

☆カモやツルは足が凍傷にならないの?

カモやツルなどは、寒い冬でも足を水につけたり、あるいは 氷の上の歩いたりします。体は羽毛で覆われていますが、足はむきだしですよね。冷たい水に足を入れていて、シモヤケ にならないのでしょうか?

結論から先に言えば、カモやツルなどは体は40度前後の高温 、水や氷や雪などに接する足の部分は外気に近い温度に保たれています。彼らは、実は足と胴を繋ぐ 関節の付近に熱を調節する器官をそなえているのです。

足の先から戻ってきた冷えた血液がその器官によって温められ体内に戻り、 逆に温かい血液は熱を奪われて、冷たい血液となって足の方へ運ばれていきます。そのようにして 足は外気に近い温度に保たれています。だから足は寒さを感じることもなく、またシモヤケになる こともないというわけです。

 

 
1月22日は何の日?

1980年のこの日、ソ連の反体制物理学者の サハロフ博士がゴーリキー市へ流刑されました。

 

☆最初に「ほだされた」のは馬という話!?

人情にひかれること、あるいは、人情にひかれて心や行動が 束縛されることを「ほだされる」といいます。普段、よく使われる言葉の一つですが、そればもともと はどういうことを言ったものだったのでしょう?

「ほだされる」は動詞、「ほだす」に、受身の助動詞「れる」をつけた もので、その「ほだす」は「ほだし」という名詞を動詞化したものです。

その昔、馬の足などをつなぐこと、馬の足に縄をからませて 歩けないようにすることを「ほだし」と言いました。また、その縄のことも「ほだし」と言いました。 そして、のちには手かせ、足かせの意味となり、さらに転じて、人の心や行動の自由を束縛する という意味にも用いられるようになりました。その「ほだし」は動詞化されて「ほだす」となり、 「ほだされる」となりました。

因みに平安時代には「ほだされる」という言葉は、肉親の情にひかれて 出家できないときなどによく使われていたようです。

 

 

1月21日は何の日?

昭和49年のこの日、東京の無降水新記録が樹立されました。(71日間)

 

☆お風呂に入った時、体に泡が付着する理由は?

お風呂に入ってお湯に静かに浸っていると、体に小さな泡がいっぱお付着しますよね。 但し、泡が付着するのは新しいお湯、きれいなお湯に限ります。体にくっついた泡は体をこするととれて 湯表面にのぼってきます。その小さい泡はいったい何なのでしょう。そうして体にくっつくのでしょう。

水の中には空気がまざっています。水道からお風呂に水を入れるとき 空気がふつう以上に混ざり込んだりしています。水の中の空気が何らかの拍子で集まると、小さな泡に なります。それらの小さな泡は殆ど目には見えませんが、小さな泡が発生すると、合体して一つになろうと します。そうして1ミリぐらいの泡になります。こうして出来た泡のは固体に付着してとどまろうと する性質を持っています。こうして、お風呂に入ったとこ、体に小さな泡が付着するのです。

水を入れたコップを一晩おくと内側に泡がついていることがありますが、 これも同じ理由でおこることです。

 

 

1月20日は何の日?

宝永6年(1709)のこの日、「生類憐れみの令」が廃止となりました。

 

☆メスしかいなくても子作りの心配なし?

フナの仲間にギンブナというのがいます。日本の各地に棲息しており、体色が銀色をしています。このギンブナは大変興味ある性的特徴を持っています。それは、、

ギンブナには不思議なことにオスが少なく、地域によってはメスばかりでオスが全くいない場合もあるのです。それでも、ギンブナはちゃんと子供を産んでいます。オスがいないのに、どのようにして繁殖をしているのでしょう?普通の魚の場合、メスが腹部から卵を産み出し、同じ種類のオスが精子をふりかけて受精します。

ところが、ギンブナの卵はなんと他の魚、例えばコイやウグイなどの精子でも受精するのです。但し、その受精は一般の魚と異なり、コイやウグイの精子は卵内に進入するものの、精子核は卵核と融合しません。つまり、精子は卵に授精のショックを与えるだけで、卵はオスの遺伝子を受け継がないのです。こうした生殖の方法は脊椎動物では大変珍しいことです。

 

 

1月19日は何の日?

享保13年(1728)のこの日、儒学者の荻生徂徠(おぎゅうそらい)が死去しました。

 

☆健康は人が解熱剤を飲んだら体温は?

風邪をひくと発熱し、体温が上昇します。そこで解熱剤、あるいは解熱剤入り風邪薬を飲むと、やがて熱は下がってきます。 それでは、病気ではなく健康なときに解熱剤を飲んだとしたら、どうなるでしょう?薬が効いて、体温が低くなってしまうのでしょうか?

人間の体温は36,5度前後に保たれています。その体温を調整を司っているのは 脳の中の視床下部にある体温調節中枢です。それがいわばサーモスタットのような役割を果たしてて、 流れている血液の温度が高ければ下げるように指令し、低ければ上げるように指令します。風邪をひいたりすると体温調節中枢の働きが正常でなくなってしまいます。

解熱剤は体温調節中枢の働きを正常にし、熱を下げます。ところが、健康な人は体温調節中枢が正常に働いているので、解熱剤を飲んでも作用しません。だから体温は変化しないのです。

去年から今年にかけて猛威を振るっているインフルエンザ。ホンコンA型ということですが、本当にひどい症状のようです。皆さん、どうぞお気をつけ下さいね。

 

 

1月18日は何の日?

1952年のこの日、韓国の李承晩(りしょうばん)大統領が漁業資源保護を揚げて、日本と韓国の海上に境界線を設定すると宣言しました。(=李承晩ライン)

 

☆ナマコの腸に隠れ住む魚とは?

カクレウオ(隠れ魚)という魚をご存知ですか?この魚は胸ビレがなく、背中に旛のようなものをつけ、細長い透明な体をしており、熱帯地方の浅い海に住んでいます。体長は20センチくらいですが、その名の通り、カクレウオはあるところで、隠れて暮らしています。

そのあるところとはナマコの腸の中です。腸の中には一体どのようにして入るのでしょう?まず頭でナマコの肛門を探し、次に尾を丸く曲げて肛門の中に挿入し、体をまっすぐにして後ろ向きに入っていきます。そして昼間はナマコの腸内にいて、夜になると餌(甲殻類)を求めて外に出ます。

カクレウオにとってナマコは大切な隠れ家ですが、ナマコには何の益もありません。完全に無賃店子です。カクレウオはナマコのほかに2枚貝やホヤ、ウニ類などの中に隠れ住んだりもします。

ナマコと言えばこの時期、ナマコの酢の物!小次郎母の大好物です。あと、やっぱり、「このわた」!全くお酒が飲めない小次郎母ですが、酒の肴の代表、「このわた」は大大大好物です。あつあつのゴハンに「このわた」をちょこんと置いたら、もう、おかずは他になにもいりません!

 

 

1月17日は何の日?

昭和49年のこの日、東京都三鷹市・中央物産倉庫で一万箱の洗剤を発見しました。(市民の摘発運動が活発化)

 

☆石鹸の大きさと泡立ちの関係

石鹸は使えば減ってきます。そして小さくなるにつれて泡立ちが悪くなってきます。それは一体どうしてなのでしょう?

石鹸は油脂からできていることでも分かるように、化学的に言えば高級脂肪酸がナトリウム塩と結合したものです。水の中にはカルシウムやマグネシウムが含まれていて、それらが石鹸と結合し、チーズのような石鹸垢となり泡立ちを悪くしてしまいます。

石鹸は水分を含んでいますが、石鹸が小さく薄くなると中の水分が蒸発し、固く溶けにくくなってしまいます。また水に濡れたり、乾いたりの繰り返しによって石鹸の結晶構造が変化し、泡立ちが悪くなります。さらに石鹸が小さくなれば、手のひらやタオルでこすれ合う表面積も小さくなるので、水に溶ける量、すなわち泡立ちが少なくなるのです。

泡立ちが悪くなる原因としては、以上のような事柄が挙げられます。

石鹸が小さくなると、タオルにこすり付けても、手からピョコンッ!と飛んでしまい、それを拾い上げるのに苦労してしまうことがありますよね!

 

 

1月16日は何の日?

明治38年のこの日、小説家・評論家の伊藤整が誕生しました。

 

☆イチゴが子孫を残すための方法とは?

植物にとってタネは子孫を残す為の大切な存在です。植物が繁殖するためには、タネを地面にばらまかなければなりません。植物の種子の散布は動物の助けによって行われる場合があります。動物が植物の実(果実)を食べ、なかのタネを地面に捨てる、あるいは糞として排出するのです。しかし、実があまり小さいと動物にわからないので、食べてもらえません。そこで植物は動物を引きつける為にいろいろなことを考え出しました。

イチゴにはその表面に小さなブツブツがあります。それはイチゴのタネで、赤い部分が実だと思っている人がいますが、ツブツブはタネではなく、実なのです。私達が実と思っているのはメシベの付け根にあたる部分が膨らんだものなのです。イチゴのタネはとても小さくて目立ちません。

そこで、イチゴは動物に見つけてもらい、食べてもらう為に、メシベの付け根の部分を膨らませて、それがまるで実であるかのように見せかける方法を取りました。そうした果実のことを「擬果」(ぎか)と呼びます。

でも、そうなると、イチゴは「果物コーナー」にあるのはおかしいのかな?

 

 

1月15日は何の日?

明治14年のこの日、理論物理学者の石原純が誕生しました。

 

☆かつてネズミも裁判にかけられた?

ヨーロッパでは13世紀から18世紀にかけて「動物裁判」なるものが広く行われていたといいます。動物を被告として裁いたもので、ネズミもしばしば裁判にかけられました。

たとえば、1519年、イタリア北部のある村で、ネズミが収穫物を荒らしたため、裁判にかけられ、村から立ち退きを言い渡されました。ただし、ネズミ側の弁護人の弁護の結果、ネズミが逃げている時には人はこれを傷つけてはならない、ネズミのために村の川には小さな橋をかけること、といったことが条件として認められました。

1733年、フランスのある村でネズミが大量に増え、小麦、ライ麦などの穀物を荒らしました。この為住民が裁判所に訴えました。やがて、裁判が開かれ、弁護人がネズミを皆殺しにしたり、食物を取り上げたりするべきではなく、適切な退去地を与えるべきだと弁護しました。厳正な審理の結果、裁判所の判決は、その地区から隣りの森と小川に3日以内に出ていくこと、というものでした。(何とものんびりした裁判ですね。)

 

 

1月14日は何の日?

四天王寺どやどや(大阪市天王寺区・四天王寺、裸の若者たちが厄除け札を奪いあう)の日です。

 

☆大阪の梅田んは梅の木があったのか?

大阪市北区のJR大阪駅のあたりを「梅田」といいます。JRの駅名は大阪駅ですが、大阪駅に接続する私鉄(阪急電車、阪神電車、地下鉄)の駅名は「梅田」です。梅田は一大繁華街でうすが、梅田という地名はかつてそこに梅の木があり、田んぼがあったところからそう呼ばれるようになったのでしょうか?

実は、梅田という地名は梅の木とは関係ありません。梅田のあたりは淀川の三角州にあたり、昔は大湿地帯でした。現在の梅田はその湿地を埋め立てたものです。すなわち、湿地を埋め立ててまず田んぼにしたのです。それで、「埋田」(うめた)と呼ばれました。大阪市東淀川区にある崇禅寺の文書(寛正2年=1461年)に「埋田之内角田」という文字が見られます。

埋め立てて田んぼにしたその土地にはやがて家が建てられるようになりました。人が住むと、そこが埋田という地名ではイメージがよくありません。そこで「埋」を「梅」に変えて「梅田」と書くようになったというわけです。

 

 

1月13日は何の日?

昭和41年のこの日、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法が公布されました。

 

漢字の「古」が本来意味するものは?

古都・古代・古典などの漢字の「古」には「ふるい」とか「むかし」という意味があります。その「古」はもともと何を表したものだったのでしょう?

「古」は「十」と「口」から成る会意文字(構成部分のそれぞれが意味を持っている文字)だという説があります。すなわち、「古」は十人の口を通じて伝承されたものという意味であり、そこから「ふるい」という意味になったというのです。しかし、この説はあまり支持されていません。

「古」の語源については諸説ありますが、「古」の「十」を盾、「口」を神に対して奏上する言葉、すなわち、祝詞(のりと)を入れる器だとする説があります。祝詞を入れた器=「口}の上に神聖な兵器としての盾=「十」と置いて守った。祝詞の効果を永続させる、そこから「ふるい」「むかし」という意味になりました。この説が今では最も有力なようです。

 

 

1月12日は何の日?

パンの日(毎月12日。パン食普及協議会が昭和58年に設けた日です。)小次郎母は、断然ゴハン党です。パンはめったにお家では食べません。外国に旅行に行った時には、別に、ゴハンがなくて苦しい思いはしないのですが、日本に帰ってきたら、絶対ゴハンです。町場のレストランとかに行って、「パンになさいますか?ライスになさいますか?」と聞かれると、小次郎母は「ゴハンを下さい!」と元気よく答えます。

 

コッペパンのコッペとは?

コッペパンという名のパンがあります。ナマコのような形をしたパンで、略してコッペともいいます。その語源についてはフランス語に由来するという説とドイツ語に由来する説があります。

フランス語語源説は、フランス語で「切ること」をクーペ(couper)といいます。コッペパンには普通切れ目が入っています。そこでクーペパンと呼び、それがなまってコッペパンになった、あるいは、フランスのクッペというパンに似ているところからクッペパン→コッペパンと呼ぶようになったという説です。

それに対し、ドイツ語説は、ドイツ語で「丘」「山の円頂」を意味するクペ(Kuppe)、あるいは「頭」を意味する(Kopf)に由来するとう説です。つまり、丘や頭のような形なので、クペパン、コプパン→コッペパンと呼ぶようになっというのです。一般にはフランス語のクーペに由来するという説が通用しています。

 

 

1月11日は何の日?

昭和57年のこの日、環境庁の調査で日本の照葉樹林の面積が減少し、0.06パーセントになっていることが判明しました。

 

植物はどうして糞をしないのか

我々人間をはじめ動物は余分な水分を尿として排泄し、食べ物のカスを糞として排泄しています。植物にも余分な水分は葉から水蒸気という形で排泄しています。ところが植物は糞をしません。なぜ糞をしないのでしょうか?

動物が排泄する糞は消化・吸収されなかった食べ物の残りカスです。動物は必要な栄養を取るために必要のないもの、余分なものを食べているわけです。食べた物を吸収するのは小腸ですが、小腸は食べ物に含まれる栄養を吸収し、栄養とならないものは糞として排泄します。

植物は根から栄養を得ていますが、糞をしないのは取り入れたもの全てが栄養になっているからです。逆に言えば、植物ははじめから栄養とならないものは取り込まないのです。だから糞として排泄する必要がありません。

 

 

1月10日は何の日?

昭和34年のこの日、NHK教育テレビが開局しました。(小次郎母はフランス語講座でお世話になっている局です。)

 

海岸線の総延長が日本一の県はどこ?

47都道府県の中で、海に接していなのは8県だけです。他の39都道府県は全て海に接しています。それではその中で、海岸線の長さ(総延長)が最も長い県はどこかわかりますか?

面積の広さでは北海道が1番であり、しかもまわりを全て海に囲まれています。そこで最も長い海岸線を持っているのは当然北海道だと思いますよね。ところが、北海道の海岸線の総延長は2978キロメートルで、実は2位なのです。

第1位はどこか?それは長崎県なのです。長崎県は面積は北海道の20分の1しかありませんが、海岸線の総延長は4139キロメートルもあります。面積は広くないのに、どうして海岸線が長いのでしょう?長崎県の本土は入り組んだ海岸を有している上、五島列島、壱岐、対馬などたくさんの離島を含んでいます。その全ての海岸線を合計すると4139キロメートルにもなるのです。

 

1月9日は何の日?

十日夷(大阪市浪速区の今宮夷神社、兵庫県西宮市の西宮神社、〜11日まで)

 

紙の中にも恵比須さんがいる!?

七福神の一人、恵比須さんは漁業、農業、商業などで商売繁昌の神様として尊ばれています。この神様は紙とも関係があるのですが、それはどんな関係かご存知ですか?

紙を重ねて裁断するとき、角が内側に折れ込んで裁ち残しになったものが出ることがあります。本の中にもときたまそういう裁ち残しのページがることがりますが、そんな紙を「恵比須紙」と言います。どうしてそのように呼ぶようになったのかは、次のような説があります。

旧暦の10月を神無月といいます。つまり、10月は全国の神が出雲も集まり、いなくなるからだと言われています。ところで、江戸時代、江戸では10月20日に恵比須を祭る行事が行われていたので、それに出席する為恵比須さんは出雲に行かず、一人残っていました。立ち残っていました。そこから「神の立ち残り」に「紙の裁ち残り」の意味をかけ、裁ち残しになった紙を「恵比須紙」と呼ぶようになったということです。

 

 

1月8日は何の日?

守山の火まつり(滋賀県守山市、勝部神社、住吉神社)

 

お酒を飲むと何故酔っ払うのか

お酒を飲み過ぎると酔って意識が朦朧となったりします。そんなことは子供でも知っていますね。ではどうして酔っ払うのでしょう?

お酒を飲むとアルコールは胃腸から吸収されて血液中に取り込まれ、肝臓で処理されます。ところが、処理可能能力以上の飲酒をすると処理しきれなかったアルコールは血中にたまり全身に送られます。

脳も例外ではありません。アルコールは脳にも送られます。脳には「血液脳関門」と呼ばれる異物を防ぐ防御システムがあります。それが、血液によって運ばれた有害な物質が脳に入りこむのを防いでいます。ところが、アルコールはその関門を通過し、脳に入り込んでしまう性質があるのです。脳の関門を通過したアルコールは神経細胞に達し、神経細胞同士の情報のやり取りを妨害してしまうのです。それがすなわち「酔い」の状態なのです。

 

 

1月7日は何の日?

1948年のこの日、アメリカの動物学者、アルフレッド・キンゼーが『男性の性的行動』を出版しました。

 

好きなのに、愛し合えないヨツメウオ

ヨツメウオという魚がいます。メキシコから南米北部にかけて河川に棲息する魚で、目は2つ(1対)ですが、1つの目で水上と水中を同時に見ることが出来るところからヨツメウオと名づけられています。

ヨツメウオは他の魚を違って、交尾をします。オスが交尾器を持っていてメスの生殖孔に挿入して体内受精をします。ところが、オスはどのメスとも交尾が可能というわけではないのです。何故でしょう?オスの交尾器には右利きと左利きがあって左右どちらか一方にしか動かすことができず、メスにも右利きと左利きがあるからなのです。

メスの生殖孔にはウロコ状のフタがついていて、そのフタには右寄りと左寄りがあります。つまり右に開くことが可能ものと左に開くことが可能なものがいて、生殖孔が右に開くメスは交尾器を左に動かすオスとしか交尾が出来ません。だからいくら相手のメスが好きでも、彼女とはペアになれないオスもいるわけです。

 

 

1月6日は何の日?

明治35年のこの日、動物、人類学者の今西錦司が誕生しました。

 

ビタミンCはどんな味がするのか?

ビタミンCと言えばレモン、レモンと言えばビタミンC。私たちの頭の中では両者は固く結び付いています。そこでビタミンCはレモンのように酸っぱいものだと思っている人が少なくありません。

私達がビタミンCと呼んでいる物質は化学的にはアスコルビン酸といいます。日本では一般的にビタミンCと呼んでいますが、国際的にはアスコルビン酸と称しています。酸ですから、ビタミンCは酸っぱいのですが、その酸っぱさはレモンのような酸っぱさとは少し違います。レモンが酸っぱいのはその中におおく含まれるクエイン酸の酸味のせいなのです。それでは、ビタミンCはどんな味かといえば、酢を少し甘くしたような味なのです。

実はレモンよりパセリのほうがビタミンCを多く含んでいますが、パセリに酸っぱさを感じないのは、他の成分によってビタミンC(アスコルビン酸)が中和されているからです。

風邪の予防にはビタミンCを多く取ること!とよく言われますが、日頃あまり食べないパセリを生でむしゃむしゃ食べると風邪予防にはとてもいいかもしれませんね。

 

 

1月5日は何の日?

昭和44年のこの日、千葉県野島崎沖で鉱石船「ぼりばあ丸」が船体折半し沈没。死者31人、船体構造の欠陥が問題化しました。

 

日本国内で海からもっとも遠い場所は?

日本は四方を海に囲まれた島国ですが、海からもっとも離れたところに位置する場所はどこだかご存知ですか?北海道の真ん中あたりをその地点だと考えるのが、順当なところかもしれません。でも、海からもっとも離れているとこは北海道ではないのです。

47都道府県には、海に面していないところもいくつかあります。たとえば栃木県、群馬県、長野県などは海と接していません。海からもっとも遠い地点はその中の県にあります。

そう、長野県です。それでは、長野県のどこがもっとも海から遠いのか?それは南左久群臼田町の。群馬県との県境寄りの場所です。ここからもっとも近い海岸は、太平洋だと神奈川県小田原の相模湾(あるいは、静岡県富士市の駿河湾)で、日本海では、新潟県の上越市。それぞれ直線距離にして約115キロメートルです。

小次郎母の実家は、窓を開けると海が遠くに見える、極、海に近いところにあります。車で20分ほどのところには、「千里浜(ちりはま)海岸」(海水浴場)がありますが、この海岸は、日本で唯一、車で海辺のすぐ際を走れる海岸です。(路線バスも走っています)。これは、千里浜海岸の砂が極小さく、砂地がとても固くなっていて、車のタイヤが埋まるということがない為です。高校生の頃、この海岸に彼と一緒に夜、海を見にいくのが、1番の「大人っぽい」デートの仕方でした。無論、小次郎母はそんな機会には恵まれませんでした、、、。(でも大学生の時、帰省の折、高校の同級生数人と花火をしに行ったことがありましたっけ、、、。結構、いい想い出です。)

 

 

1月4日は何の日?

1785年のこの日、グリム兄弟の兄、ヤコブ・グリムが誕生しました。

 

鳩が平和の象徴になったわけ

オリーブの小枝をくわえた鳩は平和の象徴とされています。煙草の「ピース」に同様の図柄が描かれており。ピカソの作品(国際平和擁護会議のポスター)でもおなじみです。

鳩とオリーブの枝。両者はどうして結び付いたのでしょうか?これは聖書の『創世記』のノアの物語に由来しています。大洪水が起こった時、ノアは方舟を作り家族や動物をのせて避難しました。そして洪水がおさまったかどうかを確かめる為、ノアは方舟の窓を開き鳩を放しました。でも、地上からまだ水がひいておらず、とどまるところがないため、鳩は戻ってきました。7日後、鳩を再び放つと今度はオリーブの小枝をくわえて帰ってきたのです。そこでノアは洪水がひいたことを知ります。鳩とオイーブの枝の結び付きはそこからきているのです。なおその後、鳩を放したところ、今度は帰ってきませんでした。安全なすみ家(=方舟)を失った鳩は悲しみのあまり胆嚢を破ってしまいました。以来、鳩には胆嚢がなくなったというお話まで残っています。

 

 

1月3日は何の日?

明治6年のこの日、実業家の小林一三(阪急電鉄の創設者)が誕生しました。

 

松の葉はどうして針にように細いのか?

植物は太陽の光を使って光合成し、エネルギーとなる糖分を作っています。光合成を行う細胞、つまり糖分を作り出す工場がもっとも多く集まっているのは葉っぱです。たいていの植物の葉っぱは、平面状をしています。それはできるだけ多く光を吸収するためで、面積が広ければ、それだけたくさんの光を吸収することが出来ることになります。

ところが、植物の中には小さな葉っぱ、針のような葉っぱを持ったものがあります。たとえば松のような針葉樹がそうです。光合成のためには葉っぱは大きい方が効果的なのに、松の葉っぱはどうして針状なのでしょうか?植物の葉っぱは水分が蒸発して逃げていくところでもある。松はもともと水分の少ないところで生きていました。植物の生存にとって水は欠かせません。しかし、大きな葉っぱでは水分がより沢山蒸発してしまいます。そこで松は針状の葉っぱになることで、表面積を小さくして根から吸い上げた水分を逃がさないようにしているのです。

 

 

1月2日は何の日?

有馬温泉入初式(兵庫県神戸市北区有馬町、温泉神社)

 

有馬温泉にかつて馬がいたのか?

兵庫県の有馬温泉は奈良や京都に近いことから、昔から天皇をはじめ著名人が多く訪れています。豊臣秀吉がここで大茶会を催したことはよく知られていますね。歴史の古い温泉で、伝説によると、オオナムチノミコト(大己貴命)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)によって発見されたことになっています。

「有馬」の地名はすでに『日本書記』に登場していますが、その地名は馬とは何の関係もないようです。古代の人々は、山のことを「アリ」あるいは「アル」と呼んでいました。『万葉集』に「衣手にあらし吹きて寒き夜と君来まさずはひとりかも寝む」という歌が収録されています。「あらし」は原歌では「山下」と表記され、それを「あらし」と読ませています。

「有馬」という地名は山を意味する「アリ」と、土地を意味する「マ」に由来し、アリマとは「山間(やまあい)の地」の意味だと考えられます。それに「有馬」という漢字を当てたというわけです。

 

1月1日は何の日?

昭和23年のこの日、皇居の二重橋が開放され、大正14年以来禁止されていた国民の一般参賀が再開されました。

 

ニシンの子を「数の子」と呼ぶのはなぜ?

お正月の祝儀に「数の子」を用いるようになったのは室町時代からと言われています。元禄10年(1697)に出版された『本朝食鑑』は、お正月に数の子を食べる理由について、「当今、わが国の習わしとして、年の初めにどの家でも数の子をお祝いの食べ物の一つとしているが、それは子孫繁栄の縁起を祝ったものである。」と述べています。

数の子はニシンの子(卵)で、室町時代には「こずこず」と呼ばれていましたが、「来ず来ず」と同音で、縁起が悪いので、「くるくる(来る来る)」と呼ぶようになりました。そして江戸時代になると「数の子」と呼ぶようになりました。それはニシンを別名「カド」と呼ぶところからきているようです。東北地方や北海道では昔からニシンのことをカドとも呼んでいます。このカドという呼び名はアイヌ語に由来すると言われていますが、ニシン=カド、その子供なので、「カドの子」、それがなまって「カズ(数)の子」になったと考えられています。

今では、本物と見紛うばかりの人工の数の子が開発されて、小次郎母は、正直言って、どっちがどっち?という感じです。

 

☆これらのお話は『話のネタ大事典』(PHP文庫)参考に書いています。